KIDJYOSYOのブログ

書きたい事、書きたいだけ。

この支配社会からの覚醒(自己肯定感、幸福感)VOL5

こんにちは、KIDa.k.a上昇氣龍です。

 

今回は自己肯定感についてお話します。

 

自己肯定感に私が気づいたのは3〜4年前ぐらい仕事の些細なことで悩んでいる時です。

そもそもドがつくほどのnegative思考だった私ですが、なぜネガティヴ思考になってしまったのかを考えた時期がありました。

 

そしていくつかの可能性に辿り着いた。

①親の言葉

②超体育会系の超ドM洗脳

③学校教育

 

 

①前回の洗脳のお話でも出しましたがドリームキラーだ。

何かにチャレンジしようと思った時に『危ないから』『まだ早い』『そのレベルじゃない』

などとまず心配から、のnegative Wordを投げられていた。

 

②超体育会系による恐怖や脅しで創られている反強制的労働に近い練習の日々

コーチや監督の物差しによる絶対的ヒエラルキー構築、不条理の経験、体育会系

自体がもう時代遅れではあるが。。。。

これがあるから今があるなどと考える瞬間も

なきにしもあらず。。。

 

ただ、最近覚えたことだが波動的観点からみると我慢した分我慢の現実がくる。

 

よく考えると当たり前だ。我慢強くなればなるほど重い我慢が現実に現れやすくなる。

 

 

③学校教育これは完全に義務教育自体が洗脳のそのものであるし、自己肯定感を下げる一番の原因である。恐らくここで初めて人間は人と比べらる。

テストの点数や足の速さ、面白いか?面白くないか?など点数は高い方が良い。

足は早い方が良いなどとそれぞれが個性なのに。。。

そして人より劣っている自分はダメなのだという人間性に優劣をつけやすい基準をたくさん設けていく。徐々に自信をなくし自己肯定感を下げていく。

フツーやみんなと同じことをしとけば安心という謎の団結。体操座りや前ならえなど良く考えれば軍隊だと思う。

 

この三つは私独自のものだが、恐らく皆さんは①③は必ず通っている道だと思う。

 

 

皆さんはマズローの6段階欲求は知っているだろうか?

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マズロー6段階欲求(ピラミッド)

これは現代社会においてのみである。現代は高々百年前後の短い期間である。

 

ピラミッド社会に加わる以上万人の人たちがどのポジションにいても同じ欲求が常に起こるようになっている。

 

そしてマズローの本には書いてはないが、これは全て満たされることはない。

人間はよく深い生き物でその欲を最大限に満たせないように社会が設計されているからだ。

 

過去ログでお話したが物差し自体が狂っているのだ

特に義務教育に関しては、

全員が生まれた環境も違う、生まれた月も違う、特に月は下手したら丸々一年違う子どもたちを○年生という区切りで一色担にしてしまっている。

 

同じことしながらも横との競争もある。矛盾。

能力は高くならなければいけないが自信を持ってはいけない。矛盾。

 

先生に褒められたい。=上司に褒められたい。

 

あまり小学生とやっていることは変わらない。

 

そもそも頂上がない山に頂上があると思い込まされて登っているようなもの。

 

それで、そこまでいけないのは、自分の性や我慢が足りないからだと言われる。

そもそも自己肯定感なんて無くならせる為のシステムだと思う。

 

なのでこの世はこのシステムを創った人達しか満足なんてできないのだ。

 

なので一番簡単な方法はこのシステムから抜け出すこと。これしかない。

 

自己肯定感を上げる簡単な方法

SNSを見ない

②人と比べない(私は私)

③T Vを見ない

 

この3つでだいぶ楽になる今の時代は情報過多の時代だ。自分の目の前の現実の情報以外いらないのだ。あとは何一つ必要な情報なんてない。

 

皆さんもぜひ実行してみてください!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

質問やご意見は下のコメント欄にお願いします。

 

 

 

 

この支配社会からの覚醒(自己肯定感、幸福感)VOL4

 

こんにちはKIDa.k.a上昇氣龍です。

 

今回は洗脳についてのお話です。

 

皆さんの洗脳のイメージはどんな感じだろうか?

 

恐らく、何か宗教的なものにはまり沼にハマりすぎて抜け出せなくなっているもしくは、

カルト集団の様なものに入りおかしな儀式をしているとか?

この辺がザラだと思う。

 

ただ洗脳というものは、もっと身近に存在している。

それは、一番近い関係であると親、友達、上司、etc

 

そして親の洗脳というのは強力である。

 

なぜなら、自分を育ててくれた人一番背中を見ていた人になるからだ。

そして、親子というだけで、特に日本は上下関係の様な物が勝手にできてしまう。

私ももちろん洗脳されている一人だ。

ただ最近になってそれに気付き軌道修正はだいぶかかっているとは思う。

 

人間何かしよう!行動を起こそう!と思い立った時必ず信頼する誰かに相談するはずだ。

そして現れるのが

 

ドリームキラーだ。

 

皆さんが誰かに何かを相談した時に一つ返事で肯定されたことはないと思う。

良い意見にせよ、悪い意見にせよ、恐らくnegativeな文言が一つや二つでできたはずだ。

ひどい時には、、、

 

『お前には無理だよ』『夢は寝てみろ』『できないよそんなこと』

 

なんて言葉をぶつけられたことはないだろうか?必ず経験があると思う。

これがまず第一の洗脳であるということに気がついて欲しい。

 

AさんとBさんがいてAさんがBさんに相談をもちかけたとしよう。

 

Aさん

『今度独立して企業しようと思うだけどどう思う?』

Bさん

『お前には無理でしょ。だって職場じゃ万年窓際だし』

Aさん

『それとこれとは違うんだよ!俺は本気なんだぞ!』

Bさん

『一緒だよ。お前は鈍臭いんだからこの会社で我慢しな!』

 

これは普通の会話でサラッと出てくると思います。

Bさんの主張には実は何も根拠がないのです。

 

独立して企業すること→万年窓際会社員は因果関係は全くないのである。

鈍臭かったら企業できないのか?それはない鈍臭い社長なんて世の中たくさんいる。

 

このように人の努力を否定し、あるががままの人間性を否定するの日常茶飯事なのである。

 

この言葉達が自我を少しずつ形成していき自分が自分と認識していくのです。

 

これが言霊の力、そして自分が自分と認識する方法だと勘違いしているのです。

 

これが自己肯定感というものを少しづつ落としていき。低い波動に引っ張られていくのです。

 

言葉の全てが悪いということではないのですが、ある意味言葉に縛られて狭い世界に入れられるそして極度に狭い領域に入れられるそれが洗脳ではないかなと思っています。

 

洗脳は遠いカルト宗教だけのものではなく日常に溢れており、人は何らかの洗脳の危険もしくはすでに洗脳されている状況なのを気づいて欲しい。

 

洗脳に関しては苫米地英人博士の洗脳原論などが読みやすくてわかりやすいです。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

洗脳原論

 

次回は自己肯定感について書こうと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

質問やご意見はコメント欄にお願いします。

 

この支配社会からの覚醒(自己肯定感、幸福感)VOL3

こんにちはKID a.k.上昇氣龍です。

 

今回はこの支配社会からの覚醒前回は。。。。

 

幸福感=金

 

とういう観点から書いていきましたね。

そもそも幸福とはなんぞや?

 

幸福・・・・心が満ち足りていること。幸せともいう。

 

美和明宏氏曰く幸福とはその瞬間多幸感が感じられた瞬間の事をいうとのこと。

例えば、美味しい料理を食べたその口に入れて味わう瞬間。

欲しかったものを手に入れた瞬間、権力の座を自分のものにした瞬間。

 

このことでわかる様に幸福とは、幸福感や多幸感が感じられる瞬間がたくさんあることもしくは、その状態が続くことであると考える。

 

ただ、今の社会では瞬間的幸福は非常にたくさん満ち溢れているが。未来永劫続く幸福感などはあまり存在しない。

 

ただ幸せのものさしは人それぞれではあるので、一概には言えないが、現代人は完全に

 

幸福なことが一生続くことはないと思い込まされている。

そして不自然なまでに幸せで居続けることが悪の様に感じている。

 

確かに、栄枯盛衰、森羅万象など言葉はあるが、たかだか人間の寿命は100年

この地球や宇宙の膨大な情報量からすると幸せで居続けることは可能だと私は思う。

 

それはなぜか?現代の幸福は幸福の瞬間のことを指しており刹那的な欲求を求めている限り

決して幸福にはなれないからだ。

そして刹那的幸福求めるように社会全体が創られている。

 

それは、前回話したあの価値がない紙切れの所為でもある。この紙切れが全ての根源とも言える。

現代の方々はもうすでに洗脳の最中にある。この紙切れの価値を過大評価してしまっている。

実は、この紙切れが価値がなくなれば、大半の悩みは消え失せてなくなるだろう。

 

そして、皆がしたいことをしたいタイミングでやり好きな時におき好きな時に食事をして悠々自適に暮らせるであろう。

 

幸せになる為にはどうしたら良いか?どうなれば良いか?などの書籍などはたくさん出ているが誰一人と。

 

 

世界全体の人々が一気にお金を捨てれば良い!

 

 

などと書いてあるものは見たことがない。お金があるが為にいろんなものに制限をかけ価値を狂わせている。世の中の大半が金とビジネスで成り立っている。

 

このシステムの中で幸せになりたいのであればお金をたくさん持つこと以外はないし

それができればある程度は叶う。がそれもまた創れた幸福感だと思う。

そして強烈に刷り込まれた洗脳と言えるだろう。

 

 

次の回では洗脳の話と自己肯定感の話をしていこうと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

この支配社会からの覚醒(自己肯定感、幸福感)VOL2

こんにちは。KID a.k.a上昇氣龍です。

 

前回から引き続きです。

 

この支配からの覚醒VOL2(幸福感)

 

前回は幸せ=お金ということで書いていきました。

上記の価値観を半ば押し付けられながら義務教育を終え、私も高校、大学と道を進めてきました。

 

街に出ればブランド品や高級車、理解できない高額な芸術品、芸能人のポスターや企業広告

性的な描写のポスターまで情報が溢れかえっています。

でもよく考えると生きる上では必要ないもの。が大半を占めています。

そして広告を出している全ての物が良い品とは限りません。

 

中には粗悪なものや利益を追求した結果できた様なもの、意味のない物まで。。。

 

それには、必ず一定の物の価値が必ずお金という単位でついています。

中には無料のものもありますが、例外的ですよね。

 

物の価値って誰が決めたのだろか?

そして、、、

お金の価値って誰が付けたのだろうか?

 

まずそこに疑問が湧きます。

 

物の価値→作る人のコスト+作るための材料費+その他(諸経費)

 

金の価値→お金事態には価値はないただの紙切れ

 

このことから、実はお金って元々自然には発生してこないことがわかります。

誰かが意図的に作りそれをある目的の為に作って流通させたことに間違いないでしょう。

 

お金の起源

知っている方も多いと思いますが、

念の為、もともと人々は物々交換をしてあらゆるものを交換して手に入れてました。

ただある時に金という鉱物との交換した時に金の価値が付けづらかったのと、面倒になった為

 

金の預かり証を作ったのが始まりです。

それを作ったのがロスチャイルド家といわれています。

その預かり証を管理し金がなくてもその紙自体に価値を持たせたわけです。

その後に政府がそれを価値を保障したことによってより人々の信用を得たとのことです。

 

ザクっと話すとこの感じです。

なので人が半ば勝手に価値を作っているのです。価値を生み出したのです。

 

「価値がないものが人の価値まで決める」

 

これを考えるととてもゾッとしますよね。

 

でも現実年収いくら以上ないと。。。。

これぐらいの生活レベルがないと。。。。

 

こんな言葉よく聞きますよね。みんなお金持ちが好きですよね。

社会の価値観がお金という共通の尺度で綺麗に横一列に並ばされている。

 

そもそもこれは異常なことですよ。

 

生まれたとこも違うし環境も違う何もかも違うのに全て同じ物差しで計られる世界

 

これが今の日本、世界なんです。

 

皆さんがなんとなく住んでいる社会は実は誰かに創られた、もとい誰かに意図的にしかもある目的の為に創られている社会だとしたらどうしますか?

 

私たちの未来が明るい未来ではなかったら?

 

少し考えてみてください。

これをご覧になられている方は恐らくもうすでにお気づきであろう。

常に私たちは時代のリーダーといわれてきた人々によってミスリードされていることを。

 

これに気付き知識への探求を始めてみるといろんな現実が見えてきます。

私の疑問はこういった当たり前の様で当たり前ではない様なことをどんどん掘り下げていった結果なのではないかと思っています。

 

 

 

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

この支配社会の覚醒(自己肯定感、幸福感)

こんにちは。

 

前回までにお話しさせていただいた覚醒についての第一弾です。

 

この支配社会の覚醒 VOL1

 

私は物心ついた頃からなぜ『エリートに笑われている』という感覚があった。

これは、いまだになぜかわからない。

なぜかその記憶だけ?感覚に近いものが残っている。

これが少しづつ最近になって頭角を表し出したのだ。

 

この社会は特に日本はエリート社会。学歴社会が根強く残り。学校というシステムの中で

成績の良い人が良いと言われる大学に入り更にまた成績の良い人が優良と言われる企業に

就職することができる。

 

そしてそれが社会的な模範として一般的な方々に奨励されている。

近年このセオリー的なものはなくなりつつもあるが、この保守的な日本という国の

日本人はやはり何かと正しいレールに乗りたがる。

 

側から見ると、何か普通の様なことに読んでいる皆さんも思うだろう。

しかし、このシステム自体おかしいと思いませんか?

 

恐らく世界はいつの日からか

 

幸せ=お金

 

という価値観の中に半ば強制的に投げ込まれてしまっている。

更に、いうとお金以外では幸せが得られないように教育、洗脳されている。

これは日本に限ったことではなく全世界的にだ。

 

幸せの形は、人それぞれだとこれをお読みいただいてる方は思うと感じている。

それを考えられている人は多いが、実践して生活まで入れ込んで今生活している人は少ないと思う。

 

そしてこのブログにたどりつき今読まれている方は、まだ今からでも取り戻せるであろう。

これに気づいている人は私の経験上かなり少ない。

まず、私のブログなどには到底辿り着くことはないと思います。

 

薄々は感じてながら上手く表現できずになんとなく日々を過ごしている方が大半ではないでしょうか。

 

まずは、教育

 

学校の教育=お金 

 

ではない。大半の方がお気づきだろうが社会にでて学校で勉強していたことは、ほぼ役に立たない。読み書き、計算くらいではないだろうか?

 

だったら最初から子供のやりたい仕事選ばせて現場で教えてあげた方がその子の為ではないだろか?

 

そのほうがよりシンプルである。

 

そしてお金に直接結びつく。それでは子供の可能性を潰してるという反論が聞こえてきそうですが、お金を理由に子供の可能性を潰している子供はたくさんいる。これでは本末転倒である。

 

そして意外に知られてないのは、義務教育によって子供たちが奴隷化されていること。

学校による校則によって規律正しく時間は決められ皆一緒が素晴らしいことだと思い込ませる。

テストの点数が悪ければ社会不適合者の様なレッテルを貼り分断を生み

いじめや差別を助長する。

その為良いとこより悪いところにフォーカスがあたり極度に自己肯定感を下げる。

 

その感覚を学校を卒業してまで引きづり親もそれが社会の厳しさだと言わんばかりに躾という名のドリームキラー化する。

 

これが今の日本の教育であり親たちなのである。

 

私は、幸福とは何か?というところに疑問を持ち色なん書物やブログなど媒体という媒体は読み漁り考えてきた。少し長くなりましたので次にまた書こうと思います。

 

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。質問やリクエストがあればコメント欄によろしくお願いします。

 

覚醒とは?

こんにちは。みなさんご機嫌いかがでしょうか?

 

覚醒の話をしていますが、本来覚醒とはどんなことを指すのでしょうか?

 

覚醒

辞書で引くと。。。。。

目が覚めること、また意識や感覚がはっきりと働き始めることを意味する。

比喩的にするとそれまでの過ちに気づいたり迷いから覚めたりすること。

との事。

 

まず、何に覚醒するのか?

私の場合は過去ログでも残しましたが、霊感に目覚めたのは小学生の高学年の頃

丁度阪神淡路大震災があった頃だと認識しています。定かではないですが。。。。

あの頃から少しづつですが、いろんな覚醒の芽吹きという流れが動き出してるように感じます。

 

私が現段階での覚醒での気付きをまとめます。

 

①この支配社会の覚醒(自己肯定感、幸福感)

②支配階層の覚醒(ピラミッド社会+メディア)

③食品の問題(特に日本の添加物)

軍産複合体への覚醒

⑤波動の覚醒(霊感、異次元)

⑥宇宙への覚醒

⑦自然の覚醒

⑧医療への覚醒(コロナ含め)

⑨自己への覚醒

 

 

今考えられるものはこの九つもしかすると今後このブログを進めるにあたって

気付きがあり増えていくのかもしれないし、減っていくのかもしれない。

私も人生の途中ですので、読者の皆様方にはご了承いただきたい。

 

次の回からはこの覚醒というものの中身について①から順に書いていこうと思います。

その分野によって情報の重さが違うのでどうなるかわかりませんが。。。。笑

 

 

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

質問や感想は是非コメント欄にお願いします。

霊感と波動

みなさん、こんにちは。

巷でのスピリチュアルの界隈では覚醒やアセンションなどいろんな表現で賑わっていますね。

その中でも私は元々、俗に言う霊感が強いタイプでした。

 

波動的観点で言うと異次元の存在が見えたり、感じられたり、少し意思疎通できたりと

 

以前の過去ブログ『覚醒』(過去ログ)でお話しした小学生あたりから少しずづそんなことがありました。

 

一番最初に霊感だと認識したのは小六の頃でした。

ただ一番最初の気づきは恐らく4歳ぐらいの時、近所のいつも遊ぶお兄さんと遊んでいる時。

家の前に割と深い竹藪がありました。

その竹藪の中をゆっくり進んでいくと、地獄にあるような池?

 

紫のグツグツ煮えたった池のようなものが見えたのです。

しかも、その周りには小さい、鬼?のような小人が3体〜4体いたのを見ました。

 

当時は、何か見ては行けないものを見たと思いそのお兄さんと一緒に逃げました。

 

これが私の記憶する一番最初の記憶です。人間の記憶は少しづつ色がついてしまうので

もう確かではないですが、その池の映像は鮮明にまだ覚えています。

 

感覚的にはそんなに怖いと言う感覚はなく、どちらかと言うと池の熱い熱風と小人の小さな会話が聞こえて来ていると言う感じでした。

 

不思議な体験でした。

 

この様な体験を少しづつシェアをして同じような経験や体験がある方の為になるブログを創って行けたらなと考えてます。

 

もし、少しでも興味がある方はコメント欄に質問やご意見頂けると嬉しいです。

 

私も色々とまだ勉強中ですので、わかること、わからないことありますが、可能なかぎり

お答えさせていただきたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。