KIDJYOSYOのブログ

書きたい事、書きたいだけ。

善悪という名の正義

 

こんにちは。KID a.k.a上昇氣龍です。

 

今回は善悪について書こうと思います。

 

今地球の考え方では二元性の考え方が主になっています。

 

良いか?悪いか?正義か?悪か?男か?女か?

 

これも分断への考え方なんですよね。そもそも良しも悪しもそこにいた人の考え方しだいなんですよ。

 

567騒ぎが起こったすぐ私が常思っていたことが。。。。

 

正義は翳した時点で悪となる』

 

正義と思って行動したことが正義ではないことなんてザラにありますよね。

 

前回のMの話でもしたようにMを付けようが、つけまいが人の勝手なんです。

(今は義務ではない協力)

 

例えば、以下のような考えの方がいると仮定する。。。。

 

①Mをつけて感染予防と思っている人

 

②Mをつけると菌がMについて口内環境が悪くなり免疫力が落ち結果的に風邪をひいてしまう思っている人。

 

どちらも言っていることはごもっともである。しかし、この議論は平行線を辿りますよね。

この二人が、強くこの事実を信じて主張した場合。

自分の主張した事実が正義となってしまうんですよ。

 

なので最終的には対立してしまう。これは不毛なんですよ。

 

 

わく○ん打つ打たないも同じです。打ちたければ打てば良い。

打たなければ打たなきゃ良い。

 

人がまずいと言っているものをわざわざ進めているようなものですよね。

 

どんな情報に触れたとしてもそれを理解して活用するのは、その人次第ですよね。

気づいた人が好きな人が情報を掘れば良いこと。

 

昔よく言われた。

 

『人は人、自分は自分』

 

ですよね。

 

情報弱者であろうがなかろうが、その人の判断なんですよ。

 

これは昨今の暴力団の昨今時事報道にも紐づけることができますよね。

 

暴力団(ヤクザ)反社会組織の方々も善悪の二元性で考えると悪になります。

でも実際私自身直接お会いすることもありましたが、むしろ感覚は逆でいろんな特殊な経験もしてる方々も多く、いろんなことを教えてもらうことの方が多かったです。

 

絶対悪という言葉があるように二元性のこの世界では善悪がどうしても出てくるんですね。

むしろそういう絶対悪の方々がいるからこそ救われる方や生きていける人たちもいるのです。

 

全てはバランスで成り立っているんですよね。

 

怖い人がいるから優しい人がわかる。優しい人がいるから怖い人がわかる。

 

反社会の方々がいるから守られていることもたくさんあると思います。

 

自分の正義を主張する前にまず鏡を見てみる。

 

人のふりを直す前に自分をみろですよね。

 

喧嘩売る前に己に勝て。

 

これに尽きるんですよね。

 

何かに縋るその時点で執着なんですよ。執着になった時点で歪んでいくんですよね。

 

何事も。

 

わかっているけど現状打破できない自分に不甲斐なさと情けなさを感じる今日この頃です。

 

今回も最後までお読み頂きありがとうございます。

 

最近は質問や感想たくさんありがとうございます。

 

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